特殊鋼が進化したらビルも自動車も進化した
~世界を高度化させる特殊な鉄~
金属に詳しくない人は「特殊鋼は何が特殊なのか」と思うかもしれませんが、実は金属の専門家でもその特殊性を説明することは容易ではありません。なぜなら特殊な事情が入り混じっているからです。
そこで本日は、その複雑な内容を紐解きながら特殊鋼の本質に迫ってみます。
結論を先に紹介すると、特殊鋼の特殊性は、ビルや自動車や工具などを高度化させるのに役立っています。特殊鋼がなかったら、ビルも自動車も工具も今の性能を持ちえなかったでしょう。
この記事ではトヨタ自動車やスタートアップで金属部材の調達を13年してきた筆者が経験談を交えながらご紹介致します。
特殊鋼は機能が高すぎて、モノづくり企業が一度特殊鋼を使って製品をつくると、もう普通の鉄や普通の鋼に戻ることができないはずです。
例えば、錆びない鉄といわれているステンレス鋼も特殊鋼なのですが、スプーンやフォークの素材をステンレス鋼から普通の鉄に戻したら、毎日錆び取りが必要になるはずです。
これくらい特殊鋼は身近な鉄になっているので、そういった意味では今や特殊鋼ではない鉄のほうが特殊といえるのかもしれません(参照3)。
特殊鋼の定義を紹介します。
特殊鋼の定義は次の2つの条件があります(参照2)。
●普通の鉄(鋼)より高性能、高品質
●鉄(鋼)に1種類または数種類の金属元素を添加して特別な性質を付与したもの
特殊鋼が高性能、高品質であるのは当然といえます。なぜなら、鉄に高い性能を持たせるために特殊鋼を開発してきたからです。
高い性能を持たせるために金属元素を加えるわけですが、ここでのポイントは「1種類または数種類」と「特別な性質」です。
モノづくり企業は、硬い鋼を必要としたり軟らかい鋼を必要としたり、強い鋼を求めたり弱い鋼を求めたりします。このような高度なニーズに応えるために、特殊鋼はさまざまな金属元素を混ぜて特別な性質を生み出しています。
特殊鋼は品質の高さも要求されます。
特殊鋼のユーザーであるメーカーなどは、普通鋼では対応できない製品をつくるときに特殊鋼を使います。
そのため機能や成分だけでなく、高い品質も要求します。それで特殊鋼は普通の鋼より品質が高くなる傾向にあります。 ただこれは「普通鋼が低品質である」ということを意味しません。「普通鋼も相当高い品質管理をしているが、特殊鋼の品質管理はより厳格である」ということができると思います。
上記の2条件をクリアすれば特殊鋼と呼ばれるわけですが、そうなると特殊鋼の種類は無数に存在することになってしまいます。
この3種類に属す特殊鋼は以下のとおりです。
種類 | 例 |
構造用鋼 | 機械構造用炭素鋼 機械構造用合金鋼 その他 |
工具鋼 | 合金工具鋼 高速度工具鋼 炭素工具鋼 中空鋼 その他 |
特殊用途鋼 | ばね鋼 軸受け鋼 耐熱鋼 ステンレス鋼 快削鋼 ピアノ線材 高抗張力鋼 高マンガン鋼 超耐熱鋼合金 その他 |
①構造用鋼、②工具鋼、③特殊用途鋼の3つの特殊鋼を知れば、ひとまず「特殊鋼を理解できた」といえるので、1つずつご紹介していきます。
構造用鋼は土木、建築、橋梁(きょうりょう)、車両、機械、機器などに使われています(参照4)。これらのモノの構造に使われる鉄なので構造用鋼といいます。
ビルや橋や自動車などが構造を持つのは、どれだけ強い力が加わっても形が崩れないようにするためです。ビルや橋や自動車などの形が「ちょっとやそっと」のことで崩れたら役に立たないどころか、人々の命を危険にさらします。
そこで構造用鋼で最も重要な「特殊性」と「特別な性質」は、強度です。
構造用鋼のうち機械構造用炭素鋼と機械構造用合金鋼についてさらに詳しく解説します。
これらに含まれている金属元素は、ニッケル、クロム、モリブデンなどです。混ぜる金属元素の種類と量を選択することで、強度、耐疲労性、靭性、焼入性を調整します。
靭性とは粘り強さのこと、焼入性とは熱処理のしやすさのことです。
機械構造用炭素鋼は最も一般的な鋼で、炭素の量と熱処理によって硬度を調整します。
機械構造用合金鋼は炭素以外の金属元素を混ぜます。
特殊性をさらに深掘りしていきます。
例えば機械構造用合金鋼の1つに「高強度・高冷鍛性肌焼鋼」というものがあるのですが、これはチタンとボロンを混ぜることで、強度を出すことに成功しました(参照5)。
強度を高めると、これを使った製品を軽量化することができます。
メーカーが高強度・高冷鍛性肌焼鋼を使って製品をつくれば、より少ない量の鋼で同じ強度を出すことができるので、製品が軽くなるのです。 また、高強度・高冷鍛性肌焼鋼は加工の工程を減らしても強度を維持できるのでメーカーは製造コストを下げることができます。
「工具」と聞くとホームセンターで売っているDIY用の工具を連想するかもしれませんが、ここでいう工具は産業用のものです。
工具鋼は、ドリルや丸鋸(まるのこ)、刃やすりなど切削工具や、金属製品やプラスチック製品をつくるときに使われる金型などに使われます。弊社の工具鋼のご紹介はこちらになります。
工具鋼が構造用鋼とは別に開発されたのは、ニーズが大きく異なるからです。
工具鋼は摩擦や熱が加えられるところで使われることが多いので、高い耐摩耗性と高い耐熱性が求められます。 その性質を持たせるために、シリコン、マンガン、リン、硫黄、クロム、タングステン、バナジウム、モリブデンなどが工具鋼に添加されています。
工具鋼のうち合金工具鋼は耐摩耗性、耐熱性に加えて、耐衝撃性と不変形性という性質を持たせています。そのためにクロム、タングステン、バナジウムが使われます。
工具は硬さが求められるので合金工具鋼の加工は容易ではありません。そのため合金工具鋼は特殊な工具をつくるときしか使われません。
合金工具鋼より特殊性が高いのが高速度工具鋼で、これは高速回転して金属を削る部品に使われます。高速度工具鋼の英名はハイスピードスチールなので、ハイス鋼と呼ばれることもあります。
ここでも特殊性を深掘りしていきます。
高速度工具鋼の耐摩耗性と靭性をより高めたものを粉末ハイス鋼といいます。粉末状の材料(金属)に圧力と熱を加えながらつくるため製造コストが高くなるのですが、その代わり粉末ハイス鋼でつくる工具は寿命が長くなります。超高品質な鉄を手間暇惜しまずつくりあげる、といったイメージになります。
粉末ハイス鋼ほどの高い性能が要らなければ、電気炉で材料(金属)を溶かしてつくる溶解ハイス鋼が使われます。溶解ハイス鋼も高額な鉄ですが、それでも粉末ハイス鋼よりはコスト安につくることができます。
ニーズの特殊性がさらに高まると構造用鋼でも工具鋼でも対応できなくなり、特殊用途鋼が必要になります。特殊用途鋼になると「もうここでしか使われない」といった使われ方をします。
ここでは特殊用途鋼としてばね鋼、軸受け鋼の特徴と用途を紹介します。
ばね鋼は自動車の板ばねや時計のゼンマイに使われています。これらの製品は、ばね性という性質が求められます。ばね性とは、力が加わると変形し、力を取り除くと元の形に戻る性質のことです。
ポイントは①変形しなければならないことと、②元の形に戻らなければならないこと、の2点です。
この2つの特徴は実は、鉄にとってとても「苦手」なものであり、なおかつ「あっては困る」性質でもあります。
例えばスプーンに使っている金属に変形する性質が備わっていたら使い物にならないでしょう。また、自動車のボディに使う金属に元の形に戻る性質があったら、ボディの形を維持できません。
つまりほとんどの場合、変形しないから、元の形に戻らないから鉄が使われているのです。
ところが板ばねやゼンマイの場合は、変形しないと力を加えたときにポキッと折れてしまいますし、元の形に戻らないと復元力が生じないので使い物になりません。
そのため、ばね鋼という超専門的な鉄が開発されました。 ばね鋼にはシリコン、マンガン、クロム、バナジウムなどが使われています。
「軸」ほど、ほとんどみかけないのに身の回りにあふれている部品はないでしょう。自動車にも冷蔵庫にもスマホにも椅子にも金庫にも風力発電にも軸が使われています。軸は、動力を伝達したり回転体を支えたりするための機械要素(部品)と定義されます(参照6)。
そして軸の1つである「軸受け」はベアリングと呼ばれ、部品を回転させながらも、定位置にとどまらせる部品です。
モノは普通、回転すると移動してしまいます。ボールを地面の上で回転させると移動します。しかし自動車のタイヤや金庫の扉や風力発電の風車は、回転させながらもその場所(定位置)にとどまっていなければなりません。しかもタイヤも扉も風車も滑らかに回転させる必要があります。
さらにいえば、長期間にわたって滑らかに回し続けなければなりませんし、強い力が加わっても滑らかに回し続けなければなりません。
そのため軸受け鋼には「転がり疲れ強度」という特殊な性質が必要になります(参照7)。それで軸受け鋼という超専門的な鉄が開発されました。
特殊鋼の高度な性能は、添加する金属元素が生み出しています。ここまでの解説でも金属元素をいくつか紹介しましたが、あらためてここでそれらの性質を紹介します(参照8)。
マンガン(Mn):強さ、硬さに関わる
ニッケル(Ni):粘り、強さ、熱に関わる
クロム(Cr):摩耗、錆びに関わる
モリブデン(Mo):熱、硬さに関わる
バナジウム(V):熱、強さ、硬さ、摩耗に関わる
チタン(Ti):硬さ、錆びに関わる
ビスマス(Bi):削りやすさに関わる
タングステン(W):熱、強さ、硬さに関わる
特殊鋼は普通の鋼より単価が高額になりますが、それは特殊な性質を持たせるのにコストがかかるからです。また、特殊な性質を持たせるために添加する金属元素が高額だからです。
しかし値段の高い安いは相対的なものであり、「特殊鋼はその高い性能の割に安い」と考えることもできます。特殊鋼が安価なお陰で街には自動車やビルディングや工具などがあふれているわけです。
特殊鋼の価格が(相対的に)安価に抑えられているのは、原料が鉄くずからもつくれるからです。特殊鋼のベースは鉄なのですが、それは鉄鉱石からつくるだけではなく、スクラップになった自動車や取り壊されたビルから取り出した鉄くずからもつくることができます。
大量の鉄くずを溶かして、そこに少量のさまざまな金属元素を加えて特殊鋼にする事もできるのです。
世界初の特殊鋼は、イギリスの時計職人が1740年につくった、ゼンマイ用の鋼とされています(参照9)。
特殊鋼が普及したのは、19世紀半ば、英国で鋼の大量生産のための新しい方法であるベッセマー法が発明されたときです。これにより、はるかに大規模な鋼材の生産が可能となり、特殊鋼の需要拡大に対応するため、新しい合金や製造技術が開発されるようになりました。
20世紀には、材料科学と製造技術の進歩により、ステンレス鋼、工具鋼、高速度鋼など、より特殊な鋼材の生産が可能になった。これらの素材は、航空、自動車、建設など多くの産業の発展に重要な役割を果たしました。
一方、近代日本の鉄鋼製造は、1901年に設立された官営八幡製鉄所が始まりとされています。ここで用いられた技術はドイツから輸入されました。
それからしばらくは、日本は普通の鉄はつくることができましたが、特殊鋼はつくることができず輸入に頼っていました。ところが第1次世界大戦が始まるとヨーロッパで大量の特殊鋼が必要になり日本に回す余裕がなくなりました。
そこで日本の鉄業界が特殊鋼づくりに乗り出したのです。第1次世界大戦は1914~1918年に起きているので、日本の特殊鋼の歴史は110年余、血のにじむような努力で日本の特殊鋼業界は「日本製は世界トップレベルである」と自負できるレベルになりました(参照1)。
特殊鋼は完成されたものではなく、まだまだ進化し続けています。
日本製鉄が2018年に完全子会社化したスウェーデンの特殊鋼メーカーであるオバコ社は、積極的に生産のカーボンニュートラル化を進めています(参照10)。
カーボンニュートラルの度合いを示す指標にカーボンフットプリントがあります。カーボンフットプリントは、原材料調達から製造、販売、廃棄に至るまでの製品ライフサイクル全体をとおして排出される温室効果ガスの排出量をCO2に換算したもの。オバコ社の特殊鋼のカーボンフットプリントは、鉄鋼製品の世界平均より80%も少なくなっています。
磁石も特殊鋼の1つなのですが、世界最強の磁石はネオジム磁石といい、1gで1kgの鉄を持ち上げることができる磁力を持ちます。スマホにもネオジム磁石が使われています。
記事の内容を箇条書きでまとめます。
●特殊鋼は自動車にもビルにも風力発電にも使われている身近な鉄
●特殊鋼の2大特徴は「高性能、高品質」と「炭素+金属元素」
●特殊鋼には構造用鋼、工具鋼、特殊用途鋼の3種類がある
●特殊鋼のメインの原料は鉄くずだからエコ
●日本の特殊鋼の歴史は110年余だがノーベル賞クラスの発明もある
特殊鋼は極めて特殊な性能を持ちながら、世界中の産業とインフラと生活を支える身近にありふれた鉄ということができます。
エンサーブの主力製品は特殊鋼です。もし特殊鋼に関するお悩み事がございましたらお気軽にお問合せ下さい。